1st
三語作文「数学」「ドラッグ」「長門有希」
「例えばね」彼はいう。「数学には,複素数というのがあるだろう」彼の話の始まりは,いつも唐突である。「あれを,存在しない数なんていう人もいるけどね,そんなことはないと思う。確かに触れることのできる,あるいは直接目で見ることのできる実体をもつようなものじゃないかもしれない。でも数っていうのは,そういうあり方を期待するべきものじゃない。概念っていうのは,みんなそういうものなんじゃないかな」そんなような話は,何度となく聞いている気がする。彼はこういう話が好きである。「触れることができなくても,複素数はきちんと存在してる。僕は複素数には確かに存在感があると感じるし,それは数学を少しやった者ならみんなある程度共有している感覚だと思ってる」そんなことを話す彼は,いつものように楽しそうである。「別にそれは,数学に限ったことじゃないんだ。卑近な例を出すと,長門有希って知ってるかな」突然話が変わる。「あれだってそうなんだ。人によっちゃ,お話の中の存在で,実在はしないと言うだろう。確かに,実際に目の前に実体をもって立ち現れる,触れることのできる存在ではない。だけど,それでもきちんと存在感を持っていると思うんだ。長門有希もまた,概念なんだと思う」それもいつか聞いた……ような気がする。「これのことですよ,って,触ることのできるものを目の前にポンと置いてくれれば,確かにわかりやすい。中には,そうされないと存在するってことを認められない人もいる。一方,そうでない人もいる。より少しのものしか見ようとしない人と,より多くのものを見ようとする人と,どちらが精神的に豊かだと思う?」修辞疑問文。彼にしては珍しい。「ちゃんとそれが見えてる人もいるのに,一部の人はそれが存在するってことを認めようとしない。そういう人たちは,それを幻覚と呼んで,見えると言う人間をおかしな奴らと決め付けるんだ」彼はこんなふうにして,奇妙な理屈をつけて何かを正当化しようとするのが好きだ。今日の標的はドラッグらしい。
(140 字版)
複素数と長門有希は似ている,と彼は言う。その心は,見える人には見える,そういうものだから,だそうだ。数学用語を持ち出すのが,彼らしい。「新しいものを見ようとしてるのに,変な奴が幻覚を見てる,なんてさ」彼は,妙な理屈をつけて何かを正当化するのが好きだ。今日の標的は,ドラッグらしい。